日本の接客が丁寧すぎて苦痛

小生、日本の接客態度がかなり苦痛である。

「いらっしゃいませ」

「ありがとうございます」などと言われるのが、甚だ面倒だ。

 

陰キャ勢で引きこもり気味オタ・コミュ障にとって、店員の明るい「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」は、自分は場違いな存在だと鬱になってしまう。

 

ぶっちゃけ商品さえちゃんと買えれば、店員の態度なんてどうでもいいのである。

 

小生は商品を買いに店に行くのであって、甚だ居心地の悪い丁寧な接客を受けに行くのではないのだ。

 

しかし世の中・・と言うより日本にはその事を理解できない輩が多数存在する。

 

お客様は神様だと言うが、貧乏神か疫病神である事が多々ある。

そもそも神様なら、商品を買う必要はないのでは?

神は、全知全能の存在だからな。

 

神と言う存在が、羽毛よりも軽くなってしまっている日本。

 

そして客自らが「お客様は神様だろ!」と言うイタイタシサ。

 

「アリガタヤアリガタヤ」とレジを打たずに拝んでいればいいのか?

 

あと、お釣りを手渡しで渡してくる面倒臭さ。

カルトンに乗せて渡してくれよと、いつも思う。

自分のタイミングでお金を財布の中に入れられるメリットはかなり高い。

 

ファミリーマートの近くにファミリーマートが出来るお国柄、商品での差別ではなく接客態度による差別が必要なのかもしれぬ。

しかしファミリーマートの近くにファミリーマートが出来る日本の不思議。

 

そもそもの話だが、コンビニ各社が店舗数で競うのはナンセンス。

平均日販で競うべきなのでは?

その方が経営的に遥かに健全だと思うが、上納金で本部が儲けているのだから店舗数を増やす事に躍起になるのも致し方ないのかもしれぬ。

 

さて、小生が理想とする接客を小説形式で載せて置こう。

 

『‪僕はジュースを持ってレジに向かった。店員はカウンターの中で、椅子に座って雑誌を読んでいる。

「お願いします」と声をかけると、面倒臭そうに雑誌から顔を上げる。

‬徐にバーコードスキャナーを手に取り、僕の持ってきたジュースのバーコードを読み取る。

「120円」と店員はぶっきらぼうに値段を僕に告げる。

僕は500円を店員に渡した。

「はい380円のお釣り」

店員はお釣りとレシートを青色のカルトンに乗せて僕に渡した。

「袋はいる?」

「いや、いらないよ」

店員は僕の持ってきたジュースのバーコードの所にシールを貼り、カウンターに置いた。

僕はジュースを取り、そのまま店を出た。』

 

こんな感じの接客で小生は満足である。

台湾ラーメン

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本日....否、昨日

小生は「しなとら」の台湾チャーシューラーメンを食した

 

なかなかの美味で、余は満足じゃ

辛さの中に旨みがしっかりあり

旨辛いとは、このことを言うのだと実感した

 

小生の感想では、大当たりのラーメンである

 

辛さが苦手な人には、ちとキツイかもしれぬが

 

しかしにんにくが入っていた事は計算外であった

と言うのも、その後小生は散髪に行かなければならなかったからである

 

結果にんにくの匂いをさせながら、小生は散髪に行く事になった

理容師殿には、甚だ迷惑をかけた

徒然なるままに

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて

 

と言いたいところではあるが、硯や筆ではブログに載せるのは甚だムズカシイ故

小生の場合は、日くらしキーボードにむかひてである

 

写真で載せると言う手段もある

しかし小生、生来の悪筆故に解読に時間がかかるのは必定

 

字が上手い人に些か憧れる今日この頃である

 

しかし憧れるだけで努力をしないのが、小林ゾラと言う人間である

 

どんなに努力をしたところで、才能には到底かなわぬ

ならば変に努力して期待をするだけ無駄なのである

無駄な努力は、所詮は徒労

大事なのは、分をわきまえる事であろう

 

それが長生きの秘訣さね

ブログ始めた件

新年明けましておめでとう

とは、よく言うが、時間が進んでいる内は必ず新年は訪れるもの

何がめでたいか、へそ曲がりな小生にはとんと見当がつかぬ

とりあえずメデタイらしいから、世間の常識的な何かに従っているだけである

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり

とは書いたものの、小生は男であった

しかし、この土佐日記を著した紀貫之という人も男であったから問題はなかろう

さて今年は戌年である

「戌」と言う字は「滅(ほろぶ)」と言う意味で

草木の枯れる状態を表している

作物を刃物で刈り取りひとまとめに締めくくることを表したなどと言われている

滅ぶと聞くと、戌年は非常に縁起の悪い年

草木が枯れると聞くと、非常に暗い年と短絡的に考えがちだ

しかし、一つのものが滅びることにより

新しい何かが生まれ

草木が枯れたところから、新しい命が生まれる

考え方によっては「新しい何かを始めるのにうってつけの年」とも言えよう

さて小生も新しいことに挑戦してみようか

などと思っては見るが、小生は生来不精で三日坊主故、何か新しい挑戦と言うには甚だ不向き

取り敢えず、ブログと言うものを始めた

それが小生の新しい挑戦と言うことにして筆を置こう